最初にパッチボードの計算順序の指定で、初期の電子計算機にはプログラムを記憶するための主記憶装置がないものが存在し、パッチボード上の配線やスイッチなどで計算順序や入力データなどを指定していたそうです。
プログラムを内臓できる計算機が存在し、そこで機械語が使用され、計算機を動かすには計算機独特の約束事(命令)で計算手順を指示していたのです。
それらの計算手順を計算機の内部の主記憶装置に書き込んでおく必要があり、計算機はそのプログラム(プログラミング)を読み取って、解釈して実行を行い、結果を出力することができたのです。
この計算機独特の約束ごとに従って書いたプログラムを機械語によるプログラム(プログラミング)といいます。
次にアセンブリ言語が登場し、機械語を書く代わりにそれぞれの命令に対して、それぞれの意味に相当する短い記号や単語を割り当て、少し読みやすく書き表したものがアセンブリ言語になります。
1951年になるとグレース・クーパーという人がA-Oコンパイラを開発し、A-Oコンパイラは数学的な記号を機械語に変換するときに、数値が保管されている番地に名前を付け(変数名)、また、繰り返し使用される小さなプログラムのセットを沢山磁気テープに収めて、プログラミング言語(プログラミング)で記述したプログラムの設計図などのソースコードをコンピュータが実行できるオブジェクトコード(機械語)形式に訳するコンパイラを開発したのです。
1957年にジョン・バッカスという人がFORTRANを公開し、IBMのジョン・バッカスが中心となって開発して科学技術用として広く使用されるようにプログラミング言語FORTRANが公開され、この言語は最初の高水準言語であり、機械語を意識することなくプログラムを作ることができるようになったものなのです。
特に数式の記述や複素数のデータなどが簡単に扱えるように工夫されており、数値計算を行う化学者などに強い支持がありました。
これによって機械語を知らなくてもプログラムが簡単に作ることができるようになったのです。
1958年になるとALGOLの基本的な定義が公開され、IBMのFORTRANに対抗してヨーロッパの研究者が世界共通のプログラミング言語として開発したのです。
論理計算用言語のALGOL(アルゴル)はチューリッヒで行われた国際会議で提案されたのが起源とされてたのですが、日本では全然使用されていません。
1959年にMITのジョン・マッカーシがLISPを公開し、LISP(リスプ)の特徴は既に定義されている関数の値を変化することなく、その関数を組み合わせて、新しい関数の定義を繰り返しながら最終的に計算結果を出す形でプログラム(プログラミング)を作成する関数型言語であり、人口知能(AI)の開発に使用されていた言語なのです。
同じ年にCOBOL(コボル)は米国の国防総省のグレース・ホッパの指導により、英語の表現に近い事務処理向けの言語として開発され言語です。
COBOLはファイルの処理が主体とし、ファイルの仕様を書くことが基本的な処理方法となっているのです。
COBOLは商業用高水準言語などの大きなデータの取り扱いや報告書の作成に便利であることから会社の経理事務などに使用されるようになったのです。
1960年、ヨーロッパで科学計算用として、1958年に開発されたALGOL 60が公開され、ALGOL 60は構造化プログラミングの考え方を最初に導入した言語なのです。
1961年、ケネス・アイバーソンという人がAPLを開発し、1962年に公開されました。
この言語は数学的な課題を解決するのに適しており、特殊文字の使用や周辺機器の互換性などがありました。
1962年にFORTRAN IVも公開されました。
2020/2/6 更新
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